「色があることで生成りはより生成りらしくなる」ということを、私は割と昔からずっと考えており、そのことについてこれまで何度か文章を書いているはずだが見つけられない。代わりに「なぜ生成りを織ることを止めたのか」が出てきたので、改めて引っ張り出してみた。
元は有料のプライベートグループの限定公開記事だったがこれを機会に公開。
上のリンク先の文章に少々付け加えると、着物の帯の場合は帯が生成りであっても他の様々なアイテム〜帯締めや帯揚げなど〜が加わるので、完全に生成りだとは言い切れないかもしれない。持ち主様がご自身で色を付け加えたり施したりするための白地、と考えると大変ユニークな存在ともなり得るわけで、それはとても興味深い。だけれども、今や私の感覚では葛布の生成りはとりわけ特別なものとなってしまった。
色があることで生成りはより生成りらしくなり、色はより色らしくなる。それは生成りが生成りであるよりもより生成りになるという意味で、生成りは制作しないが「生成りっぽいもの」は今後も制作していくというのは、屁理屈のようであるが私の理屈では大変理に適っている。生成りというのはその存在だけで大変迫力がある。そこに色を入れたり模様を入れたりするのは、生成りを織るよりもずっと勇気が要る。しかしあるいは何か特別なことのために全く染めない生成りの帯地を織るということは今後もしかしたらあるのかもしれないとも思う。