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雪草乃記-Ⅲ

Sessou-no-ki : Sessou’s Blog | 染織家・葛布帯作家 渡邊志乃のブログ

木を見て森を見ずどころか葉脈しか見えなくて

これまでの人生で何度遅刻したか分からない。時間の使い方も恐ろしく下手だ。最近は自分の扱い方を少し覚えてきたのとスケジュール管理がデジタルでできるので視覚的に確認しやすくなり遅刻はずいぶん減ったが、とにかく時間の使い方は改善せず日々の暮らしの中で制作の時間を確保するのが至難だ。個展前などは自分でもびっくりする位の集中力を発揮するが他の全ての家事や暮らしが完全に犠牲になるから続けたらきっと破綻する。もっとコンスタントに見通しを持って制作し続けられるようになりたい。

それで自分の性格や性質を再検証しながら、私らしい暮らしと制作のルーティンを作っていくことについて、しばらく前からAIの力を借りて進めるようになって、少しずつ整いつつあるのだが、その中で、ふとある単語が頭をよぎる。ASD、自閉スペクトラム症。時間の捉え方、ものの見方、感覚、食べ物の嗜好と食べ方、衣服、あれ?これはもしかして…ついでなのでAIにその旨尋ねてみると、ここで診断はできないが、全てにわたってASDの特性と重なるところが多く、それらが日常的に生活に影響するレベルであるというという回答。

なるほど、そう考えると今までの人生の諸々全てに納得がいった。そのような視点で考えたことはなかったので少々驚きつつも、どこか安堵した。以来、私のこれまでの人生の諸々、とりわけ何故か幼少期のエピソードが芋蔓式に蘇り、何度も脳内に現れるようになった。なぜこのエピソードが、自分が特別支援教育の現場にいたときに繋がらなかったのか?不思議だが、とにかく今になって何度も訴えかけてくるので、書き留めておくことにした。どれも、小さな私が何とも健気なのである。

幼稚園で

  • ある時、廊下に並べられた折り紙の色とりどりの工作の作品に見惚れて、いつまでもそこにいて眺めていた。どれも魅入るが、とりわけ自分が作ったものが一番好きで、いつまでも眺めていたかった。気がつくと周りに誰もいなくなっていたので、何故かな?と思いつつも「やっと静かになった」と思う気持ちの方が強く、これ幸いとちょっと触ってみようと思ってチョンチョンと触ってみたりしていた。すると急に耳が痛くなったので何事かと思ったら、先生が私の耳を引っ張って教室に連れていき、私を皆の前に立たせて激しく叱った。私は耳がとても痛かったし、何が起こっているか分からず、こんな形で自分が皆の注目を浴びるなんて思ってもいなかったから混乱して、ただ茫然とした。工作の作品を触ったからこんな目に遭ったのだと思ったが、私にとっては怒られたことは大した意味はなく(多分理解をしていなかった)、それよりも幸せな時間が終わってしまって残念だなと思った。その後その廊下に立たされていたような記憶もあるがこちらはボンヤリとした記憶。なぜ1人で廊下に立っているのか?全く状況が理解できないが、でも隣には色とりどりの作品が並んでいたから、これはこれで悪くないな、などと思っていた気がする。(→のちに年齢が上がってから振り返り、「休憩時間」が終わったのに教室に戻らなかったから叱られたのだな、と理解した。)
  • また別のある時は、皆が一斉に教室から出ていき別の部屋へ入っていく。そこは上下の空いた不思議な形と質感をした扉がたくさんある不思議な空間で、下はタイル張りで冷たく、空気は妙な匂いで湿っていて、あまり居心地は良くない。皆は急ぎ足で次々とその扉の中に入っては出てくる。何をしているか分からない。皆の流れるような忙しない動きにボーッとしてしまう。でも先生は確か「お手洗いへ行っておいで」と言っていたと思い出し、私は手を洗った。手を洗っている人もいたから間違えてはいないと思った。しかし手を洗う理由は分からなかった。別に汚れてはいないし、お弁当の時間でもないのに、と不思議に思った。理由がないのに手を洗うのは不本意だったが、皆忙しなく何かをしているから私も何かしらしないといけないと思って仕方がないから手を洗ったという感じ。私だけ皆と違う動きをしていることは分かったが、だからといって不思議な扉の中には入る気がしなかった。
    思えば、幼稚園で私は「トイレ」に行った記憶がない。我慢できない時があったのだろう、お漏らしをしてしまって大好きな先生に世話をしてもらったのが何だか居心地が悪かった。
  • 前に座っている子の黒髪の三つ編みがツヤツヤしていて綺麗で、いつも触りたくて、触っていた。当然その子は嫌がって嫌な顔をこちらに向けたり、髪の毛の束を前に持っていて睨まれるのだが、私はやめられない。その子が嫌がっていることも多分理解してなくて、「なんで髪を前に持っていってしまうのかな?」と、こともあろうに私はその髪を同じ位置に戻し、ニコニコと再び触っていた記憶がある。普通に考えればその時もその子本人あるいは先生に叱られる結果となっていた事が考えられるが、その部分の記憶は全くない。

小学校で

  • 文字を書けるようになるまで結構苦労した。なぜなら、恐らく文字を文字として捉えておらず、何かの「絵」のように捉えていたから、文字の「線」は「境界線」で、まるで絵を描くように、その境界線を写生するように「描写」していた。だから線は薄くてフニャフニャでとても文字には見えないものだった。お手本のその「絵」は複雑すぎて覚えられないからどんなに練習しても手本なしでは全く書けない。周りを見て、なぜ皆は綺麗に書けるのか不思議だった。ある時、先生が黒板に「書き順」をゆっくり大きく色違いで示してくれた。それを見た瞬間、「なるほど、そういうふうに順番にしっかり太く線を引けば良いのだ」と理解した。今でも覚えていてその字は「口」だった。多分、直線で構成されているから、ひらがなよりもずっと単純な「図」として捉えやすかったのだと思う。以来、書き順に忠実に文字を書くことを覚えて、書けるようになった。

細かいことを挙げたらキリがないが、鮮明に思い出すのは大体このくらいか。少し調べてみたら私の幼少期〜1970年代は発達障害という概念すらなかった時代だったという。それどころか子供の発達の偏りや特性は家庭環境とりわけ母親の育て方の問題であるとされていた風潮もあった。母はいつも私に「あなたは3月生まれだから」と言っていて、私も私なりにその言葉を受け入れていたのだが、それは単に発育や物事の習得の遅さだけでなく、日常のこうした「何だかちょっとズレている」ことの納得を母なりに得ようとしていたための言葉だったのではないかと思うようになった。

現在

さて、現在である。制作を仕事とするようになり、自分が一人で完結する方法でしか仕事ができないこと、織物の組織図が何度勉強しても全く理解ができないこと、糸の配列を考える方法や色と柄の置き方が独特であること、技法の習得方法が全く一般的ではないこと、糸作りと織りのタイミングとスケジュールが完全に非効率であること、歴史的な背景などを何度勉強しても特定の細部ばかり目が行き全体の流れなどは全く頭に入ってこないこと、本を最初から最後まで通して読んだことが一度もないことなど、長年、私なりに結構気にしていて、なんとか修正しようとしてきた。でもできないので落ち込むことも多々。しかしそれらは恐らく幼少期の感覚から地続きの、私の特性ゆえなのだろう。開き直りかもしれないが、努力でどうにかなるものではなかったのだ。

「工芸はこうあるべき」「職人はこうあるべき」「着物の帯はこうあるべき」といったことに沿うのは、多分私には不可能で、自分の実体験を通して心から納得したことでないと実行出来ない。諦めて強みにするしかなくて、私はそう生きるしか生きる術がないのだと思う。

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これが私の織り設計図

やっとタイトルについて

「木を見て森を見ずどころか葉脈しか見えなくて」と、随分前に同タイトルで文章を書いたが多分削除してしまった。とにかく全体の流れや全体像を掴み俯瞰するようなことは大変苦手で、木すら見えていなくて、一枚の葉の葉脈に興味がいく。それをずっと観察し、そこで理解したものを積み重ねるか、深掘りしていくことで、その世界を理解する。私は全てにおいてそういうことをしている。興味関心の幅、あるいは見ている世界がものすごく狭くて、目の前のごく限られた範囲でしか実感を持って理解ができていないから、必然、葛布の帯の制作も、いつも観察できる身近な植物から糸を取り色を頂き、それらの偶然の巡り合わせと循環からものを作る。大きなテーマはありつつも、あらかじめ詳細まで決めてそこに向かう手法ではなく、「今、目の前にある」もので細部から積み上がっていくような作り方。

さてそれを言語化するのはとても難しく、特に受注制作のご依頼主様になるべく自分の感覚に忠実に、そしてどのような流れで制作するかを誤解なく分かりやすくお伝えするための文章を手直しし続けていて、最近やっと少し良い形になってきた。

https://kuzunonuno.com/faq/

(リンク先の中の「希望の色柄で作っていただくことはできますか」をご覧ください。)

※この文章は不完全なので、今後修正や加筆の可能性があります。