これまでの人生で何度遅刻したか分からない。時間の使い方も恐ろしく下手だ。最近は自分の扱い方を少し覚えてきたのとスケジュール管理がデジタルでできるので視覚的に確認しやすくなり遅刻はずいぶん減ったが、とにかく時間の使い方は改善せず日々の暮らしの中で制作の時間を確保するのが至難だ。個展前などは自分でもびっくりする位の集中力を発揮するが他の全ての家事や暮らしが完全に犠牲になるから続けたらきっと破綻する。もっとコンスタントに見通しを持って制作し続けられるようになりたい。
それで自分の性格や性質を再検証しながら、私らしい暮らしと制作のルーティンを作っていくことについて、しばらく前からAIの力を借りて進めるようになって、少しずつ整いつつあるのだが、その中で、ふとある単語が頭をよぎる。ASD、自閉スペクトラム症。時間の捉え方、ものの見方、感覚、食べ物や衣服の嗜好など、あれ?これはもしかして…ついでなのでAIにその旨尋ねてみると、もちろん診断はできないが、全てにわたってASDの特性と重なるところが多く、それらが日常的に生活に影響するレベルであるというという回答。
なるほど、そう考えると幼少期から今までの諸々全てに納得がいった。そのような視点で考えたことはなかったので少々驚きつつも、どこか安堵した。以来、私のこれまでの人生の諸々、とりわけ何故か幼少期のエピソードが次々と繰り返し思い出されるようになった。しかも妙に鮮明で、小さな私が何とも健気だ。
幼稚園で
- ある時、廊下に並べられたみんなの工作の作品に見惚れて、いつまでもそこにいて眺めたり触ったりしていた。とりわけ自分が作ったものが一番好きで、いつまでも眺めていたかった。気がつくと周りに誰もいなくなっていたが、眺めたり触ったりすることを止められないでいたら、突然先生が私の耳を引っ張って教室に連れていき、みんなの前で激しく叱った。私は耳がとても痛かったし、何が起こっているか分からず、こんな形で自分がみんなの注目を浴びるなんて思ってもいなかったから混乱して、ただ茫然とした。工作の作品を触ったからこんな目に遭ったのだと思った。(→のちに年齢が上がってから振り返り、「休憩時間」が終わったのに教室に戻らなかったから叱られたのだな、と理解した。)
- また別のある時は、皆が一斉に教室から出ていき別の部屋へ入っていく。そこは上下の空いた不思議な形と質感をした扉がたくさんある不思議な空間で、下はタイル張りで冷たく、空気は妙な匂いで湿っていて、あまり居心地は良くない。皆は急ぎ足で次々とその扉の中に入っては出てくる。何をしているか分からない。でも先生は確か「お手洗いへ行っておいで」と言っていたので、私は手を洗った。しかし手を洗う理由は分からなかった。別に汚れてはいないし、お弁当の時間でもないのに、と不思議に思った。私だけ皆と違う動きをしていることは分かったが、だからといって手を洗う以外何をするのが正解なのか分からなかった。
思えば、だから幼稚園で私は「トイレ」に行ったことがなかったと思う。我慢できない時があったのだろう、お漏らしをしてしまって大好きな先生に世話をしてもらったのが何だか居心地が悪かった。 - 前に座っている子の黒髪の三つ編みがツヤツヤしていて綺麗で、いつも触りたくて、触っていた。当然その子は嫌がって嫌な顔をこちらに向けたり、髪の毛の束を前に持っていて睨まれるのだが、私はやめられない。その子が嫌がっていることも多分理解してなくて、「なんで髪を前に持っていってしまうのかな?」などと考えながら、ニコニコして触っていた記憶がある。
小学校で
- 文字を書けるようになるまで結構苦労した。なぜなら、恐らく文字を文字として捉えておらず、何かの「絵」のように捉えていたから、文字の「線」は「境界線」で、まるで絵を描くように、その境界線を写生するように「描写」していた。だから線は薄くてフニャフニャでとても文字には見えないものだった。お手本のその「絵」は複雑すぎて覚えられないからどんなに練習しても手本なしでは全く書けない。周りを見て、なぜ皆は綺麗に書けるのか不思議だった。ある時、先生が黒板に「書き順」をゆっくり大きく色違いで示してくれた。それを見た瞬間、「なるほど、そういうふうに順番にしっかり太く線を引けば良いのだ」と理解した。今でも覚えていてその字は「口」だった。多分、直線で構成されているから、ひらがなよりもずっと単純な「図」として捉えやすかったのだと思う。以来、書き順に忠実に文字を書くことを覚えて、書けるようになった。
細かいことを挙げたらキリがないが、鮮明に思い出すのは大体このくらいか。少し調べてみたら私の幼少期〜1970年代は発達障害という概念すらなかった時代だったという。それどころか子供の発達の偏りや特性は家庭環境とりわけ母親の育て方の問題であるとされていた風潮もあった。母はいつも私に「あなたは3月生まれだから」と言っていて、私も私なりにその言葉を受け入れていたのだが、それは単に発育や物事の習得の遅さだけでなく、日常のこうした「何だかちょっとズレている」ことの納得を母なりに得ようとしていたための言葉だったのではないか、と思うようになった。
現在
さて、現在である。制作を仕事とするようになり、自分が一人で完結する方法でしか仕事ができないこと、織物の組織図が何度勉強しても全く理解ができないこと、糸の配列を考える方法や色と柄の置き方が独特であること、技法の習得方法が全く一般的ではないこと、糸作りと織りのタイミングとスケジュールが完全に非効率であることなど、長年、私なりに結構気にしていて、なんとか修正しようとしてきた。でもできないので落ち込むことも多々あったが、今、それらは私の特性ゆえだったのだと知った。開き直りかもしれないが、努力でどうにかなるものではなかったのだ。
「工芸はこうあるべき」「職人はこうあるべき」「着物の帯はこうあるべき」といったことに沿うのは、多分私には不可能なのである。諦めて強みにするしかなくて、私はそう生きるしか生きる術がない。
さてやっとタイトルについて
「木を見て森を見ずどころか葉脈しか見えなくて」と、随分前に同タイトルで文章を書いたが多分削除してしまった。とにかく全体の流れや全体像を掴み俯瞰するようなことは大変苦手で、木すら見えていなくて、一枚の葉の葉脈に興味がいく。それをずっと観察し、そこで理解したものを積み重ねていくことで、その世界を理解する。私は全てにおいてそういうことをしている。だから目の前のことしか理解ができなくて、いつも観察できる身近な植物から糸を取り色を頂き、それらの偶然の巡り合わせと循環からものを作る。大きなテーマはありつつも、あらかじめ詳細まで決めてそこに向かう手法ではなく、「今、目の前にある」もので細部から積み上がっていくような作り方。
さてそれを言語化するのはとても難しく、今のところはこのような形になっている。
(リンク先の中の「希望の色柄で作っていただくことはできますか」をご覧ください。)
※この文章は不完全なので、今後修正や加筆の可能性があります。

