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Site icon image雪草乃記-Ⅲ

Sessou-no-ki : Sessou’s Blog | 染織家・葛布帯作家 雪草のブログ

左乳房の命日に2025

2016年の今日、私は左乳房全摘手術を受けた。あれから9年が経つ。来年でなんと10周年なのだから驚く。毎年この日を迎えると、ああ私生きている、と思う。

がんと診断された時の天地がひっくり返ったような衝撃は、それまでの私の価値観・人生観・死生観を根本から変えた。私は自分が女であることについて、特に社会的な立場の忌々しさから、やや面倒くささを感じていて、女であることを捨てたいと思っていたので、乳房を失うことに対しては何のこだわりもなかったが、長年共に生きてきた相棒を失うような寂しさや申し訳ない気持ちはあった。体の一部を失うのである。それはとても寂しい体験だ。この体験と感情は肝に銘じなければならないと思った。だから自分にとって4月15日は誕生日よりも重要な生まれ変わりの日で、大事な日だし、この日を迎えられることには感謝しかない。

当時女性の12人に1人が乳がんになると言われていたと記憶しているが、今は9人に1人というから随分増えた。ガンサバイバーもそう珍しくはなく医療は進歩しているというのに患者数が減らないのは、予防にフォーカスされていないからというのは自明だが、がんは原因が複雑系なのでことはそう簡単ではない。

私は当時43歳、今から考えるとまだ全く若いし体力もあったし、直前に受けていた健康診断ではどこも悪いところは無かった。何故?自分にがんが出来た原因を知りたいと思った。選り好みせず手当たり次第に本を読み、インターネットはもちろん知人友人家族から情報を集めた。そこで朧げに知ったのは食生活や精神のあり方、生活習慣が大いに関わっているらしいことと、あとは人智を超えた何か大きなウネリのようなものの力が関係しているのではないかということだった。とにかく「がん」というのは、知れば知るほど神秘的だった。(この「何か大きなウネリのようなものの力」を、のちに私は「死ぬスイッチ」と名付けた。このことに関してはいつかのまたの機会に説明するかもしれないこととして、今回は割愛します)

当時、「がんは生活習慣病である」という認識は世間的にはまだ薄く、「マインドフルネス」とか「瞑想」とか「食生活や心を変えること」や「リラックスの大切さ」などは「エビデンスがない」として「オカルト」「トンデモ医療」「奇人変人」扱いの範疇だったが、私は、そうしたものはまだ科学的に解明されていないために共通言語がなく、よって直感的に分かっている人はそれを説明する言葉が存在しないので説得力を持って説明ができないが、そのうち科学的に解明されて人類にとっての自明の事実となるのだろうなという気がしていた。最近では「エビデンス」も相当数集まってきて、それらの「トンデモ」も当たり前の普通の言葉になりつつあり、様子が随分と変わってきているので、やはりと思う。

とにかくがんは遺伝的要因やウイルス性のものがある他、多くは生活習慣に起因し、発見されるまでには長い年月がかかる訳である。ということは、それだけ長い年月体に負担をかけ続けていないとがんはできないということで、これを読んだみなさんには、ぜひともご健康なうちから心身の健康に関して知見を深め、ご自身なりの死生観を持ち、健康で幸せな人生を送ってほしいと心から願う。

さて、話を戻して、あれからおよそ9年。何かを分かったような口ぶりだが何も分かっていないし実践したいことの半分も実践できていないが、最近思うのは、何か極端なことをするのではなく、ただ普通にごく普通に穏やかに、自分の信念に従って毎日を悔いなく過ごすことに尽きるなということである。

全ての巡り合わせと自分が生きていることが尊く愛おしい。今日を大事な日として区切り、明日から新しい人生を歩むつもりで、日々新鮮に、大切に生きたいと思う。


過去に書いた記事がいくつかあるので参考までにリンク先を載せます

死とは(2022年11月26日記)

左乳房の命日に2022(2022年4月14日記)

食事と健康と環境周りのこと(2021年11月12日記)