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Site icon image雪草乃記-Ⅲ

Sessou-no-ki : Sessou’s Blog | 染織家・葛布帯作家 雪草のブログ

布は耐久消費財である

最近手元の着物のことをあれこれ考えたり、外に出る時は着物を着るようにしたり、なるべく着物の近くにいるようにしています。すると、つくづく布は消耗品ではなく耐久消費財であると実感するようになりました。しかし日本語の、あるいは法律上の定義としては布は耐久消費財には含まれていないようです。何か他に適切なコトバがあるでしょうか?

そもそも「衣服」と「布」は分けて考えないとならないのかもしれません。
衣服は布が形を変えて作られたものであって比較的短期で使われるものであったとしても、布は人の手と工夫によって形を変え、ずっと使い続けることができるという、至極当たり前のことに改めて気づきます。何故、着れなくなった服を丸ごと捨てる文化になってしまったのでしょうか。

布は布であり、糸であり、擦り切れてボロボロになるまで本来捨てる理由がないものです。

(という私も、過去に、布としてまだまだ使える衣類を捨ててしまった事を悔やみ、同じ事を繰り返さないため、布たちへの謝罪と感謝の気持ちを込めて言っています。)


と、ここまで、過去にFacebookに投稿した文章を転載しました。そして以下に、その投稿にコメントくださった方に返信した内容を少し修正して転載します。

古いTシャツなどを雑巾にするようなことは多くの方がされていることと思いますが、布として良いものであれば、そんなにすぐに掃除用具にしようとは思えないものです。その前にまだまだ衣服として…外出着や帽子→部屋着→下着など、というように…循環的に作り変えることが、いくらでもできます。

さて、すると、布さえあれば、市販の既製品ものを買う必要は特殊なものを除いては実はほとんどないのでは、と思うわけです。それに、部屋着などは、ご縁あって手元にある布で自分で作った方が着ていて断然楽しい。
でも何かを作るのは時間がかかるので本当にそうしようと思うと外で働いている暇がないのですが、しかし、それは即ち、働いて得たお金で本来は家でできる事を外注しているようなカタチになっているわけで、何だか変なことになっているなぁ…と思うこの頃です。

最後まで使い切る循環型の暮らし、昔は本当に資源がなくて、そういう生活を余儀なくされたのでしょうけれど、ただ、そういう苦しみのなかにも愉しみがきっとあったと思うのです。今はその「愉しみ」の部分を純粋に楽しめる時代、幸せなことです。

※この記事は書きかけで、後に加筆修正される可能性がありますが、ほぼないかもしれません。