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雪草乃記-Ⅲ

Sessou-no-ki : Sessou’s Blog | 染織家・葛布帯作家 渡邊志乃のブログ

自分の興味と世の中の動向との関連

およそ20年ほど前だったと思うが、アジア系雑貨のお店が少しずつ札幌にでき始めた時代、面白い形のズボンがあったので購入した。裾広がりのシルエットが綺麗で動きやすく履き心地が良いそのズボンを長らく愛用していたのだが、とうとうボロボロになって、穴も開いてきたので、自分で作れないかと寸法を測り構造を調べた。縫い目が斜めに走っているので難解に思えたが、その縫い目を辿って脳内で広げてみると、なんと1枚の長方形の布だった。驚いた。

その後真似をして何とか一枚縫ってみて、後に、それが「リス族のズボン」らしいことがわかった。しかし情報は少なく、ネットに上がっていたのはたった1カ所。貴重な発見だった。

それがどうだろう。今ネットでリス族のパンツとかリス族のズボンなどと検索すると、恐ろしいほどの数ヒットする。見てみると、どうやら「すてきにハンドメイド」という番組で取り上げられていたらしいのだ。

こういうことは良くある。なんだか面白い・気になると思う、その時はほんの数人以外は誰も見向きもしていないようなことやものが、10年後20年後あるいは30年後に、爆発的とは言わないまでもより多くの人が知ることになったり、大きな動きに繋がったり、といった体験が多い。大きなものでは葛布がそうだし、不登校が普通になってフリースクールがテレビドラマのテーマになる日が来るなんて思いもしなかった。

さて実験として、今私が気になっていることをいくつか挙げておこうと思う。10年後20年後あるいは30年後に、このことがどうなっているか検証したい。

SNS

全てのSNSに全く興味がなくなった。アカウントを削除したいところだが、仕事上必要があって残してある。

SNSはなくなるか、もしくはものすごく小さな規模になるのではないか。あるいは形を変えて、今とは違うものになるのではないか。ごくプライベートなグループを作るためのツールになるとか。

衣服

何年も前から、機能性の高いアウトドアウェア以外の衣服をほとんど買わなくなった。下着も含めてである。市販のものを買う気がしない。だから手持ちの服や下着は減るばかりだが、同時に布を最後まで使い切る循環も考慮し手縫いで作ることの工夫と試行錯誤をずっと続けていて、最近少しずつ形になってきている。

特殊なものを除いて身の回りの衣類はほぼ自分たちで作るようなるのではないか。反物を買って、あるいはすでにある衣服を再利用して、自分で作るのである。ミシンではなく手縫いが良い。要するに少し前の時代に戻るみたいな感覚だが、当時と違うのは何でもネットとAIが教えてくれる。というかその前にAIのおかげで人間は自由になる時間が増えるから、身の回りを自分の手で整えることの喜びを取り戻すのである。

着物

着物を、これからはより多くの人が、何かしらの形で利用するようになるだろう事は私の目には明白なのだが、なぜこんなに悲観的な見解ばかりが目立つのかわからない。確かに技術や道具が消えそうだったり、産地で後継者がいなくて大変な思いをしているのは事実だが、人間は悲劇的なストーリーが好きなのでそちらばかりにフォーカスしていないかと思うのだ。人々の血の滲むような尽力によって残されてきた技術や着物は途絶えるはずがない。巷の悲観的なストーリーは皮肉にも販売戦略の1つになっている。あるいは「以前の形」を変えられない人々による懐古的言動か。要するに形はどうであっても着物を利用する人や技術を繋ぐ人にフォーカスするだけで未来は全く変わるはずなのである。

半衿、腰紐、襦袢関係

これは別で記事にしても良い位なのだが、半衿や腰紐、襦袢系の下着類は、真新しいものを買う必要はあるのか分からない。なぜなら下着だから使い古した布から再利用したほうが着心地的にも資源的にも気持ち良く、特に半衿や腰紐など半端で細長いサイズは、着物地の再利用のためにあるような気がしてならない。真っ白な新品は特別な日〜冠婚葬祭など〜のためだけの特別なのではないか。

そこでそれらの歴史的経緯を調べてみたら全くその通りだった。気になる方はAIに訊いてみて欲しい。すぐに多岐に渡った見解を教えてくれる。これは上の「衣服は自分で作るようになる」とも繋がる話。

今のところ目立って思いつくのは、この位だろうか。また、何か思いついたら書き足すかもしれない。

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念願の東京国立博物館へ 全てに感激 2026-5-9 8:51